先日、楽山の前身、さかえ鮨のお話をしました。
42年前の開店当時の写真です。
この車、なんてレトロなの?
当時まだボクは産まれておらず、お袋も嫁いでおらず、大将はお姉さん(ボクからみたら伯母さんね)と始めたそうで。この近辺にすし屋なんかなかったそうです。名岐バイパスは現在の中島通りまでしか開通しておらず、そりゃものすごい田舎ですわ。寿司が売れて売れてしゃあない時代だったそうです。
当時はコンビにも、ファミレスもスーパーもない時代。日本も高度成長期。いい時代だったんでしょうね。まぁ、そんなおかげでボクと弟は育てられたわけです。はい。
いろいろエピソードも聞かされましたよ。
あるとき出前を持っていった家の方が明くる日店に来て
「きんのう、すしに醤油が入っとらんかったで醤油、ちょうだいすか」
というお客さん。
どやってすし食ったン?
ほのぼのというかなんというか。寛大は時代だったんでしょうね?
42周年ということでお花までいただきました。
感謝、感謝の楽山です。
一宮 寿司 すし券 でら吟 歓送迎会 大間マグロ お祝 法事 誕生日 ホワイトデー 接待 個室 宴会
2011年3月8日
寒鰤の頭です。
実はボク、ブリの頭には強烈な思い出がありまして…。
以前勤めていた日本料理店。いわゆる会席中心のお店でおまかせ料理の店だったんです。店長(親方)が献立を作って1ヵ月スパンで内容が変わりました。献立が変わるとき(料理変えと言いました)はめっちゃ大変。各ポジション(焼き場とか煮方とか板とかね)でその月の料理のサンプルを作って親方にOKをもらったら器は考えなきゃいけないし原価は計算しなきゃならないしてんやわんや。簡単に親方はOKしてくれないし、「いじめ」みたいなときもありましたわ。
当時ボクは「焼き場、揚場」担当。ちょうど今頃だったと思います。その月の焼物は「ブリ」。仕込みも段取りも自分の担当食材はすべて管理するんですな。さばきましたよ10キロぐらいの寒ぶり。忙しい店だったし必死ですわ。頭を落とし内蔵を出して水洗い。頭もちゃんととっておきました。でも、これが邪魔なんですわ。でかいし。ある日のこと冷蔵庫がパンパンで困ってたら同僚のH君が
「佐藤君、そんもんほかったら?どーせ使わへんし」
と、言うではありませんか。実際、当時の親方は魚のアラや内臓などが嫌いな人でほとんど使わない人でした。H君にささやかれたボクはブリの頭をゴミ箱の中に捨てたんです。
会席料理の店なんで約1ヵ月は献立が変わりません。(もちろん昼コースと夜コースの献立は違いましたよ)でもたまに常連さんが月に2回みえると大騒動です。急遽、料理変えが始まるんです。まぁ2回目は昼用の献立をアレンジして対応すればいいんですが極々まれに3回目があるんです。もう大変。で、そういうときに限って急にみえるんですな。アポ無しで。
あるときその地獄の3回目があったんです。もちろんアポなし。親方は献立を組み立てるのに必死の形相。逆鱗に触れるとどうなるかわからない人だったので調理場はピリピリムード。先付けから順番に献立が決まり途中でどん詰まりになったご様子。ぱっとひらめいた感じで
「おい、佐藤!ブリの頭どうした?」
と振ってくるではありませんか!!
ありませんがな、とっくに。H君も顔が引きつってます。
「す、すみません。流しました」 (業界では捨てることを「流す」といいます)
「あーん?なんやとぉ?
流したぁ?
誰が捨てろって言ったぁ?」
はい、そのあとは鉄拳制裁です。めっちゃ痛かったです。
それから親方は口もきいてくれません。一切無視です。今なら平気のヘイサですがあの頃はねぇ。
どうやったら許してもらえるか。深夜無理いっていきつけの床屋さんに電話しました。
あくる朝。親方出勤です。板前全員雁首そろええて
「おはようございます!」
相変わらずボクだけ無視です。
着替えて親方のいすに座ったのを見計らい、ボクはもう一度頭を下げにいきました。
「昨日はすみませんでした!」
板前白帽子を颯爽と取って、海老蔵張りに頭を下げました。
親方、目が点。
だってボクの頭が青光りしてるんだもーん。
思い切って坊主にしたりましたわ。
すると親方
「お、おう。まぁええわ」
と、わらいをこらえて許してくれましたが当時付き合ってた彼女(今の嫁です)に中坊みたいと笑われしばらくは相手にしてもらえませんでした。
で、あるからしてボクはぶりの頭は捨てられないのです。
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2011年1月24日
土用の丑が終わった。
連日の猛暑で鰻屋さんは大盛況だったみたいだ。かくいう楽山も例年よりよく売れ、これもブログのおかげかな、と感謝している。
修行時代の鰻のエピソードをひとつ。
ボクには板前の先輩であり競馬の師匠のS山さんという方がいる。20年ぐらい前、当時働いていた店では毎日「う巻き玉子」を一日一本巻いていた。だから毎日一本だけ開いた鰻が市場から届いていた。それを蒲焼にしてう巻きにするのだ。ある日のこと。S山さんが
「佐藤君、鰻、割いたことある?」
と、聞いてきた。ボクはもちろんそんな経験はない。そうしたら
「じゃぁ、明日、丸(開いてない生きた鰻)をもらってやってみよう!」
と、なった。親方には内緒の話である。
鰻の修行も大変である。俗に
「串打ち三年 割き八年 焼きは一生」
とも言われ長年の鍛錬が必要とされる。
明くる日、市場から活けの鰻が3本届いた。魚屋のシンちゃんが
「めずらしいやん、活けの鰻3本て」
「おー、開くの練習するんだわ」
S山さんが手本を見せてくれる。手馴れたものである。
ボクもやってみる。簡単にできるわけないやん。でも、手取り足取り教えてもらいなんとか2本を割いた。
問題は鰻をどうするかということ。1本はう巻きにするとして残りの2本の始末である。
親方には内緒の仕入れだからばれるとまずい。2人で選んだ結論は
丼にして、食っちまうこと!
合理的、証拠隠滅である。
蒲焼にして即行、米を炊き、丼にし必死でかきこむ。親方が出勤する前に。
格言である。
「串打ち三年 割き八年 焼きは一生 食べるの三分」
鰻を食べるといつも思い出す、なつかしい思い出だ。
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2010年7月27日