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並寿司

  晃平はスマートフォンの地図アプリを頼りに香苗の部屋に辿り着いた。

インターホンを鳴らしたのだが、それに反応することもなくドアが開く。

おそらく、約束の時間とぴったりだったから、晃平だと思ったのだろう。

 暫く振りに会う香苗は化粧っ気もなく、長い髪を束ねていた。別居して4年、一緒に暮らしていた頃はもう少し短い髪だったと思う。それよりも、マニュキュアもしなかった指先には少しデコレーションされたネイルアートが施されていて驚いた。

「離婚届。サインと印鑑頼む」

 このまま、別居のままでもよかったけど、踏ん切ることにした。子供2人はもう社会人。離婚になんら支障はない。まぁ、せいぜい子供たちの結婚の時に少し面倒かもしれないが、晃平も香苗もまだ50過ぎて間もない。新しいパートナーを見つけて第2の人生を歩むにはまだ充分な時間があると思ったからだ。離婚の話を切り出したら、香苗はあっさり承諾した。もしかしたら彼女もそれを早々に望んでいたのかもしれない。

 「もし、なんかあったら連絡してくれ」

  「なんかあったら?私たち、離婚するのよ。他人同士、連絡する必要なんて、ないんじゃない?」

 少し、妙な笑顔で香苗は言った。昔から、キツイことを笑って言う女だった。

 いや、違う。付き合ってた頃はそんなことはなかったと思う。一緒に暮らしだして、子供が産まれ、日々の生活の中でお互いの価値観が違うことに気がつき始め、彼女はそんな風になったのだと思う。

 

 悪いのは俺なのかもしれない。晃平はふとそう思った。

  「じゃあ」

と、声をかけて香苗のマンションを後にした。呆気ない幕切れだ。気付けば腹が減っていた。そういえば午前中にクライアントとの打ち合わせが長引いて昼飯を食べるタイミングを逃していた。香苗との約束もあったし、時間に遅れた時の香苗の眉間に皺を寄せた顔を見るのが嫌だったし。

この街は来たことがないわけじゃないが、知ってる店もなかった。晃平は知らない街で寿司屋に入るのが密かな楽しみだった。便利な世の中になった。スマートフォンを取り出し、近くの寿司屋を検索する。歩いて10分ほど、駅からは逆方向だが良さそうな寿司屋を見つけた。

 店内に入る。カウンターとテーブルだけの小さな寿司屋だった。色黒で背の小さな大将がカウンターかテーブルにするか聞いてきた。普段ならカウンターに座るところだが、テーブルに座ることにした。

 瓶ビールを頼み、先ずは一気にコップ一杯を飲み干した。そういえば香苗と出会った頃は時々、寿司屋に行ったのを思い出した。まだ20歳そこそこだった2人は薄給で、それでも背伸びして回らない寿司屋に行った。なんだか大人になった気がしたものだ。

 やがて、香苗が身籠り、結婚することになった。晃平は香苗に精一杯の指輪をプレゼントしようと当時の蓄えをほとんど使い果たした。

 「もう贅沢はできないね。最後にお寿司食べに行こうか」

 2人で入った古い寿司屋。60過ぎの夫婦で切り盛りする小さな寿司屋だった。

  「並寿司にしよ。お金無いしさ」

 2人で食べた並寿司を思い出した。

   瓶ビールを飲み干し、色黒で背の小さな大将に並寿司を注文した。一瞬、怪訝そうな顔をされたが、すぐに黒い桶に盛られた並寿司が運ばれてきた。マグロ、イカ、エビ、タマゴ、タコ、アナゴ、鉄火巻、カッパ巻き。ビニールでできた人造ハランが添えてあった。並寿司なんて食べるのはあれ以来だと思う。今では少しは稼げるようになり、名の知れた寿司屋にも行けるようになった。それでも、今食べている並寿司がやけに美味しく感じた。

 「大将、ご馳走様。お釣りは要らないから」

店を出た。並寿司。並ってなんだろう。離婚したら並の人生じゃ無くなるのだろうか。夕暮れの新緑の風を感じながら、晃平はそんなことを考えていた。

(フィクションです(笑)若大将が書いたショートストーリーの8作目になります。カテゴリーで以前の作品をご覧いただけます。ご興味のある方、どうぞ)

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