ボクのすし論②
本日は臨時休業とさせていただきます。
今年に入ってすでに2回、寿司屋さんに行きました。
最近は、新しいお店じゃなく、同じお店に行くケースが多いですね。気軽に行けるので。
今日は「ボクのすし論」の2回目を書いてみます。
あくまでもボクの持論ですので反論がある方はカウンターですしを食べて文句言ってください笑
過去のブログに書いたこと、重複することもあったり、違う考えになってることもあるかもしれませんが悪しからず。
先日、知人のイタリアンのシェフとお話しする機会がありました。
そのシェフはいつも新しい料理のことを考えていると仰っていました。
これ、ボクも割烹をやってたときもそうだったんですよ。常に新しい料理を出さねば、って思いが強かったんです。おせち料理ですら毎年、何か新作を、って考えてました。
でも、すしを軸足にしてからは変わったんですね。
以前にも書きましたが、すしってのは再現性の仕事。
同じネタをいつも同じように仕上げるものだと思ってます。
光り物、煮物はいつもと同じように仕上げる。塩の塩梅、酢の加減、脂の有無で煮炊きするか時間、味付けを考える。
シャリを炊く時でも、いつもと同じように仕上がるか、毎日不安で仕方がない。
料理ってのはクリエイティブな作業です。前述した通り、新しいものを考える。
そう、落語で言うなら、古典をけかるか新作をかけるかって事です。
いや、漫才もかな。漫才には古典はない。常に新しいネタを考えなくちゃいけない。
古典落語も再現性の芸。もちろん、噺家さんの解釈、聞かせどこの違いで若干の味が変わる。これって寿司ネタの仕込みに似てます。お店によって光り物の締め加減、穴子の柔らかさや味が違いますよね。
そういう事だと思います。
再現性で言うと、天ぷら屋さんや、鰻屋さんも同じかもしれないですね。鰻屋のタレの味がいつも違ってたらマズイでしょう。
「お客さん、今日のタレは新作よ」
なんてありえない。
だから、寿司職人、天ぷら職人、鰻職人とは言うけど、日本料理職人、フレンチ職人、中華職人とはあまり言わないじゃないですか。
あ、街中華は職人かもしれないな。炒飯の味がいつも違ってたら具合が悪い笑
同じ仕事をきっちりするのが「職人」って言うんだと思います。
それでも、このままでいいってのはダメですよね。
同じ仕事を少しでも昇華させる気持ちは大事。その気持ちがないと技術も心も衰退します。
実はこの作業がボクにはしっくりくるんです。
日本料理を主体に仕事してる時は正直、苦しかった。常に新作の料理を考えなくちゃって思いが楽しくなくてね。菊乃井の村田さんも新しい料理を考えるのは楽しいと本に書いてあったけど、ボクは楽しくなかったんですよ。
ところが「すし」の仕込みはめちゃくちゃ楽しい。
緊張するけど、いつもと同じ塩梅に仕上がった時、それはシャリであろうが、小肌であろうが、穴子であろうが。
本当に嬉しいんですよ。
寿司屋に向いてる人は、そういう人じゃないかな。
何か新しいネタを、って考えている寿司屋さんって、ちょっと心に響かない。
先日、あん肝の握りを置いてあったので、食べてみたら、大して美味しくない。
あん肝は普通にポン酢か煮付けでつまみで食べるものなんだと思います。
かと言って新しいものに美味しいものもあります、
例えば
「トロたく」
トロとたくあんの巻物です。これがよく出るんですよ。昔はなかったネタです。でも食べてみると美味しいんですよ。頑なに、そんなん巻けないよ、なんていうのも野暮だと思うんですよね。
古典落語だって、現代風にアレンジしなきゃいけないところもあるだろうし、でも、キセルのところを電子タバコに代えたら、風情もへったくれもないと思います。
そういうところをバランスよくやってる寿司屋がいいんじゃないかなってボクは思うんです。
だからそこを目指していますね。

では、また気づいた時に「ボクのすし論」書いてみるとします。